カワイアハオ教会

Kawaiahao Church

挙式パッケージ


パッケージプライス:$1600



パッケージ内容:

・教会使用料(1h)

・ハワイ州公認牧師

・パイプオルガニスト

・シンガー

・挙式進行コーディネーター

・結婚証明書(法的効果はありません)

オプショナルパッケージ


パッケージプライス:$1400



パッケージ内容:

・新婦ヘアメイク(120分)

・写真(式場到着から出発まで150カット)

・カップル専任コーディネーター

・送迎(ホテル挙式場往復送迎)

・生花のブーケ(季節の花のクラッチ)

基本金額:$3000


挙式パッケージ+オプショナルパッケージで主だったアイテムが含まれた基本金額の目安としていただけます。

基本オプショナルパッケージにその他のご希望オプショナルを追加することやアイテム毎にカスタマイズする事も可能です。

ご予算ご希望に応じてご提案いたします。

カワイアハオ教会の特徴


カメハメハ3世の時代1842年に建てられたオアフで一番古い教会です。

カワイアハオのハオとはハオ王女の名前で、教会横にある泉はハオ女王が大切にしていた聖地としてハオの水というのがカワイアハオの意味です。

教会の規模:大規模

収容人数:1500名

バージンロードの長さ:25m

演奏楽器:パイプオルガン

ステンドグラス:なし

アクセス:ワイキキから15分

リーガルウェディング:可能

LGBTウェディング:不可

カワイアハオ教会の略歴史


1842年建立以来“太平洋のウェストミンスター寺院”として知られるようになったカワイアハオ教会。ハワイ王朝時代には“王族の教会”そして今日では“ハワイ州の教会”と呼ばれる本教会はオアフ島に建てられたキリスト教会の中で最も旧い歴史を誇り、“ハワイ教会の母”として敬われている。

 

宣教師達がハワイ諸島に到着する以前、ホノルル村南側には埃舞う砂漠同然 の不毛な地が広がっていた。しかし太陽焼け付く荒れ地の真ん中にオアシスがあり、その湧き水を利用できたのは首長をはじめ王族のみに限られていた。そしてこの泉をよく訪れたハオ王女にちなんで泉の湧き出るこの場所がKa Wai a Ha‘o “ハオの湧き水”と呼ばれるようになったのである。

 

1820年にハワイに到来した宣教師達は王族や一般市民に快く受け入れられた。そして彼らの住居を建てるべくカワイアハオの土地が与えられ、カメハメハ王三世の命により原住民の手により茅葺きの家が建てられたのである。この地の伝統に習って建てられた長さ16.5m 幅6.7mの茅葺きの教会堂の床にはマットが敷き詰められ300人が集まれる広さであった。その後1837年に石造教会堂建設のため 建築材料集めが始められる迄の間、信者数の増加、あるいは火事や大嵐による被害のため、茅葺きの教会堂は3回も建て直されたのである。

 

1838年7月31日に基礎工事が開始されたが、聖堂をしっかりと支えるため岩盤まで掘り下げるこの大作業には実に1000人もが携わったという。“石造りの教会”として知られる様になった本教会であるが、その築材は実は石ではなく海底から引き上げられた巨大珊瑚岩盤なのである。それぞれ約454㎏もする珊瑚岩盤は、まず原住民が3〜6mの海に潜り、珊瑚礁からノミを使って切り出した塊を水面まで持ち上げ、さらにカヌーに載せて岸まで運んだ。 14,000あまりの珊瑚岩盤を運んだのはまさに強靭な身体と魂であった。

 

ソロモンの寺院建設に比べると2年短い5年の歳月をかけて建築された“石造りの大教会”は1842年7月21日に完成の式典を迎えた。多額の資金を投資したカメハメハ王三世も出席した式典には4000人〜5000人の信仰深い信者達が参列した。費用はおよそ3万ドルと推定されている。 本教会は長い歴史の証人である。歴代の王族達の祈りや賛美歌の歌声、彼らの結婚式や洗礼式そして安置された棺を見守ってきた。また教会敷地内には初代宣教師達が眠っている。悲惨事の起きた9月11日に多くの人が集まって祈祷したのもこの聖堂である 。ホノルル市広域に被害をもたらした1900年の大火事では、何千人に上る避難民を受け入れた。1941年12月7日(真珠湾攻撃)には心の平安と身の安全を求めて多くの信者が教会地下室に避難してきた。そしてハワイがアメリカの州となった歴史的式典が行われたのも本聖堂内であったのである。

 

カワイアハオ教会はハワイ州州立史跡、アメリカ合衆国国立史跡登録簿の両方に記載されている。

 

大聖堂内について

 

カメハメハ王三世が寄贈した時計塔のカウイケアオウリ・クロックも意味深い歴史を持っている。マサチュ―セッツ州ボストンのHoward &David 時計製作所によって作られたこの時計は時計師達とともに1850年に到着、カメハメハ王三世の監督下において設置された。 毎時鐘を鳴らすこの時計は 今も設置以来の仕組みによって機能しており、それは4代にわたりこの時計を整備してきたMahoe-Mulfod家の御陰である。また、聖堂内、王族の象徴である4つのカリヒ(羽飾り)が立つ囲いの中がかつての王や女王が座った特別席である。

 

二階には、画家ホフストットのカメハメハ大王から始まる王族肖像画21点が一同に展示されている。また現存のパイプオルガンは本教会オルガン5代目にあたり、1964年に設置された。アメリカ合衆国一と言われるAeplian-Skinner 社製(ボストン)のオルガンは2500本のパイプからなり、一番細いパイプは鉛筆くらい、また太いものは直径30cmにもなるという。

 

その他

 

聖堂左側に位置するカワイアハオの湧き水であるが、当時泉の淵にあった岩は泉を記念するため現存する教会建物基礎の一部として埋め込まれている。(聖堂前、敷地正面入り口)

カメハメハ王五世が継承者を決めずに亡くなった後、議会がルナリロ王を

任命したが、人民の意向を確認するためルナリロ王は敢えて投票を行う様に命じた。こうして王を慕う人民の支持により改めて選ばれたルナリロ王の即位式は本教会で行われたのである。しかしながら即位から一年あまり1874年2月3日にルナリロ王は39才で亡くなり、人民のそばに葬られたいという最期の望みに従ってマウナアラの王族霊廟ではなく、本教会墓地に眠っているのである。

 

教会敷地内には ハワイ特有の種である植物が植えられている。

 

オヒアレフア–雲に覆われたハワイ雨林から潮風の吹く海岸沿い斜面にわたり生育。レフアとはハワイ語で髪を意味し珍しい黄色とオレンジ色の種類が美しい。

コキオウラウラ(ハイビスカス)−古代のハワイ人はコキオの蕾をやさしく味もよい緩下剤として使った。また樹皮繊維は縄やよりひもに使われた。

ティー–ルナリロ王霊廟の周りに植えられているティーはカヌーに乗って到来したハワイ人の祖先によりもたらされたと言われている。住まいの周りに植えられた緑色のティーは悪魔除けになるといわれ、首飾りや腕輪として付けられた葉はお守りにもなる。

 

地域社会貢献活動

 

本教会はハンドベル音楽隊、フラ、青少年オペラ合唱団など音楽とパフォーミング・アートを通じて布教・社会貢献活動を行っている。また、女性信者のグループはルナリロ老人ホーム、ファミリー・ピース・センター、ハビタ・フォー・ヒューマニティー(貧困住居問題)、家庭内暴力の被害者である女性と子どもを支援する団体などへの支援活動を通じて社会に貢献している。

お問い合わせ


ご質問、お見積もりのご依頼などを左のフォームよりお問い合わせください。

お見積もりをご希望の方はわかる範囲で結構ですので、ご希望の挙式場、挙式時期、列席者人数、ご予算、結婚式に対するご希望やイメージなどを記していただけるとより具体的な見積もりにアドバイスなども添えて回答させていただくことが出来ます。