ヌアヌコングリゲーショナル教会
挙式料金:$750(+ハワイ州税)
2019年度料金
Nuuanu Congrigational Churchの略史
本教会の歴史は1885年2月8日、950人の日本人移民ホノルル港到着とともに始まった。この第一回官約移民とともにSS City of Tokio号に乗ってやって来た当時同志社大学神学科の学生であったShinichi Aoki氏 がホノルル到着後ハワイ伝道会のCharles McEwen Hyde 博士とともに日本人移民を対象にYMCAホールにおいて聖書の勉強会を開いたのである。早期キリスト教信者達によるこれらの努力のおかげで後の日本人救済会が設立され、さらにクアキニ病院の設立へとつながったのである。青木氏が日本に帰国した後、日本語による伝道を続けるためサンフランシスコから到着した美山貫一氏の手を借りて、ホノルル日本人基督教会が設立され、まずはベレタニア通りとヌアヌ通りの角にあるQueen Emma ホールにて 、その後ヌアヌ通りとククイ通りの角に位置するLyceum ホールに移り伝道活動が続けられた。
1900年のチャイナタウン大火事発生時 には726㎏あまりの米を炊いて避難民の救済にあたった。
1902年にハワイでも数少ない自治運営の教会の一つであったホノルル日本人基督教会は日本人独立基督教会とその名を改め、ハワイにおいて主に日本語による伝道を行っている教会の中でもリーダー的な存在へと成長していった。
1905年Yeiko So 夫人は孤児園を設立、さらに寄宿舎を建て自ら舎監となる。後にこの寄宿舎はヌアヌ・コングリゲーショナル教会寮と呼ばれる。
1911年にLyceumホールが取り壊され、新しい聖堂、牧師館、寮が建設される。費用は14,500ドルであった。
1928年 Paul Tamura牧師の着任とともに英語の会衆に重点が移されるようになる。
1942年第二次世界大戦の最中にヌアヌ・コングリゲーショナル教会と改名された。
1950年にヌアヌ通りとスクール通りの角地に移転、さらに1962年にパリ・ハイウェイ沿いに移り現在に至る。1965年にはHideo Kobayashi 氏、Thomas Nishida氏の建築による新しい聖堂とフェローシップ・ラナイが奉納された。
1985年にはハワイ日本人移民100年祭にちなんで、日本人移民に対するキリスト教伝道活動を讃えるお祝いが開かれた。会衆者の一人であるMary Kuramoto 氏の著書“Dendo”(伝道)はその歴史を記念するものであり、本教会婦人グループWomen of Nu’uanuによる料理本”Itadakimasu”
は100年祭主催委員会から公式に承認ステータスを与えられた。
地域社会貢献活動
本教会はオアフ島に所在する他の教会とともにFamily Promise of Hawaiiに協力しホームレスや復帰過程にある子ども連れ家族の 支援をしている。年4回一週間にわたり家族を招いたり、ボランティアが食事の準備をしたり、親睦をはかったりしている。
本教会内Ulu Waiグループ(ウル・ワイは溢れる水という意味)は 食料難にある人を助ける、地球を守る、地域を守る、次世代を守ることを目的として水耕栽培やミミズの堆肥作りなどの活動を行っている。水耕栽培されたマノアレタスやバジルなどはFamily Promise of Hawaii, The Children’s Center , 会衆メンバーが分け合い、また水耕栽培セットやミミズ堆肥作りセット等を提供することで、地域の人々への啓蒙を広めている。
FACE-Faith Action for Community Equity 創立メンバーとして38の教会、2つの仏教寺院、2つのユダヤ教会衆、さらに10の地域グループとともに 公平かつ平和は地域社会の確立を目指して活動をおこなっている。
ヌアヌ奨学金は大学や神学院で勉強する学生に与えられる奨学金である。