Kaumakapili Church
カウマカピリ教会


挙式料金:$1750(+ハワイ州税)



     2019年度料金

  • 教会使用料
  • ハワイ州公認牧師
  • シンガー
  • パイプオルガニスト
  • 教会コーディネーター
  • 結婚証明書
  • ホテル教会間リムジン送迎

お見積もり・ご質問

1838年ハワイアンのために設立された歴史ある教会です。聖書をモチーフにした鮮やかなブルー基調のステンドグラスとグリーンとゴールドのパイプオルガンが特徴です。

ご予約に関して
お申込金:$1000
予約可能日:祝祭日を除く毎週月曜、水曜
挙式可能時間:10時、12時、14時

挙式日より9ヶ月前から予約が可能となります。

教会ルール

  • LGBT(同性婚)可能です。
  • リーガルウエディング可能です。リーガルウエディングをご希望されない場合は日本で籍を入れた証明が必要となりますので、婚姻届受理証明書の原本(かコピーでも可)を必ずハワイに持参ください。


766 N King St, Honolulu, HI 96817
kaumakapili.org
(808) 845-0908


カウマカピリ教会について

Kaumakapili Churchの略史

1837年から1839年にかけての数年はハワイにおけるキリスト教布教活動が非常に強まった時期であった。ハワイ布教活動の指導者であったHiram Bingham牧師に対しホノルルの平民達がカワイアハオ教会に次いで第二の教会を設立してくれる様に嘆願すると、オアフ島のケクアナオア知事がそれはホノルル村、さらに明確に言うと13,000人あまりが住むKaumakapili地区に建てられるべきだと提案した。ハワイ人の平民達は自分達の居住地に近く、誰もが平等に扱ってもらえるそんな信仰の場の必要性を感じていたのである。そして彼らはLowell Smith牧師に指導してほしいと希望した。1837年のアハ・パエアイナ会議によってその要請が認められ、さらにカメハメハ学校創設者であるBernice Pauahi Bishop王女の両親にあたる、慈悲深きAbner Paki首長とその妻Konia夫人によってスミス通りとベレタニア通りの角地が与えられた。翌年の4月1日 Bingham牧師の手をかりSmith牧師はカワイアハオ教会から移ってきた者22人、Ewa地区から2人、Kauaiから1人、さらに信仰宣言した者49人で教会を組織し、これがKaumakapili 教会の始まりであった。

1839年8月29日に奉納された最初の教会堂は土壁に茅葺き屋根で建設されたが2500人収容する程の大きさであった。1865年には死期間近であったカメハメハ王五世が高位にあったBernice Pauahi妃 に王位を継いでくれるよう要請するも拒否されたため、法律によって選挙が行われることになった。 本教会はその際、そしてそれ後もハワイ政治が何度も危機に陥った都度ホノルル庁舎として使われることになる。

1881年にはレンガ造りの教会堂を建てるため土造りの建物が取り壊された。同年9月2日、丁度その日に誕生日を迎え、王女になったばかりのリリウオカラニ妃が礎石を据えた。デザイナーかつ建設委員会のメンバーであったHyde博士は十字架形の一階建てにしようと考えていた。ところが、本教会建設に深い関心をもっていたカラカウア王が“人間には腕も足も2本ずつ、目も耳も2つずつある様に教会にも尖塔が2塔あるべきだ”という論議で、もっと堂々とした建物を希望した。王が論議に勝ったことは言うに及ばない。

7年の年月と65,000ドルの費用をかけて完成した教会堂は大講堂の入り口に登る外階段と、高く造られた基部が斬新で、道行く人はもとより港に到着した船からも見えるまさに威風堂々とした建物であった。1888年6月10日に奉納されたこの教会堂であるがカラカウア王在位中皮肉な役割を果たすことになる。カラカウア王の酔狂さとその王が外務大臣職に就くなどおぞましいイタリア系アメリカ人Morenoを 任命したことに憤慨した ホノルル市民が本教会において反対集会を行ったのである。結果4日後にMorenoは解任された。

この二代目教会こそ現在本教会が行っているフリー・ストアーの前身だったとも言えるかもしれない。教会地下室はチャイナタウン住民のため宝石や布地などが保管されていたからである。しかし1900年1月20日、大惨事が起きたのである。チャイナタウンにおける腺ペストの発症に対して、保健局は教会付近に位置するチャイナタウンの数地区を焼き払うという劇的な手段をとったのである。火の粉が木造尖塔に落ち レンガ壁だけを残して教会堂は全焼した。

ホノルルの町も変遷を遂げるとともに、スミス通りとベレタニア通りの角にあった敷地は売却され、キング通りと当時のシマ―ソン通り(現在のパラマ通り)の角地に移った。1903年に就任したHenry K. Poepoe牧師は1950年までWilliam Nehemiah牧師とともに教会を司った。二人の牧師は礼拝の場を旧パラマ消防署の後方オースティン・レーンにあった小さな木造の仮教会堂に移すと、先10年間にわたり日曜学校に力をいれ、殊に現在カイウラニ小学校の建つ場所にあった旧教義院出身の女学生達に対する布教に打ち込んだ。1910年5月7日初代Lowell Smith牧師のひ孫にあたるHarold R. Erdman師によって三代目の教会建築のため地鎮祭が開かれた。1911年6月25日に奉納された教会堂において同日第89回 アハ・パエアイナが本本教会にて開催されたのである。

原物のステンドガラス窓2枠が奉納された1912年9月13日には初代Lowell Smith 牧師のひ孫であるLowell S. Dillinghamの洗礼式も行われた。地域の証人として布教を広め、また各姉妹教会との関係を深めていった1920年代後期、また1950年代初期には本教会はハワイ教会の王女と呼ばれた。主聖堂建築後約15年後に建てられた教会ホール(現在Hale Kamika の建つ場所)は本教会の地域活動の中心となった。そのキッチンこそが 本教会の人気の鍵であった。

社会貢献活動
本教会ではホームレス対象、また一般市民対象として寄付された物品を提供するフリー・ストアーを開いている。

また、食料調達が困難な人々のためフード・バンクを運営している。

奉仕活動団体KiwanisやP.T.Aへの参加など様々な社会貢献活動に取り組んでいる。また、 Calvary IN the sea というグループは、マウナラニ湾再生・保護を目的とする非利益団体 マラマ・マウナラニと連携して、教会前の海岸におけるサンゴ礁の保護やモニタリング、マウナラニ湾におけるリクリエーション利用調査など様々な活動を行っている。

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